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入院ばかりで退院したとしてもほとんど体調が悪く
思うように生活出来なかった、私は、子供達に母親らしい事がほとんど出来ない状態でした。
頭に毛玉をつくりお見舞いに来ていた事も以前お話した通りです。
特にしつけの面では、悲しいくらい想い通りにいかなかったのが事実です。
まあ元の性格もありますが、それは、今でも本当に申し訳ない思いです。
ただ、野性味というか生きていく力の様な物は、身に付いていったかも知れませんが、やはり
それは、常識を越えたような形でできあがっています。
いろいろな意味で精神面でも不安定にさせてしまいました。
入院中、時々外出許可をもらい 腕や首に点滴のクダを巻いたまま固定して自宅に帰ることがありました。
短いクダにちょっとだけ逆流している血を見て こどもが、「お母さん痛いの?」
と聞いてきます。 「ぜ〜んぜん平気だよ」 と答えると
「じゃ よかった」 と いいながらも まだ心配そうな顔をしています。
私が自宅で倒れたことも数回あるので、そのたびに子供達は、不安を抱えていました。
気付いていましたが私も自分の世話に精一杯で
そう言う心のケアまで、なかなか行き届きませんでした。
そう言うわけで 今でも子供達は、(というか今は、娘達という感じか・・)
私の外出がすごく不安な様子です。といっても態度や口は、冷ややかなんですけど・・
素直に表現できないところも強がり気質を創り上げてしまったこの環境のせいかもしれません。
ある日お見舞いに来た当時小学1年生だった次女が 「おかあさん 次の日曜 帰ってくる?」
と 聞いてきたので、 「体調がこのまま落ち着いていたら帰れるよ」というと
すこし 申し訳なさそうに 「・・・おかあさん お願いだから 帰ってこないで・・」と言いました。
意外な答えにびっくりしていると
「だって・・おかあさんが、病院に帰るとき すごく嫌になって 頑張りたい気持ちがきえちゃうんだよ
それに お家で、死んじゃったらどうしようって思うし・・・」と重い口をひらき話ました。
「そんな簡単に死なないよ〜」と笑って見せたものの
その日から私は、日曜に帰るのをやめました。
一枚の壁を崩したら一気に全てが崩れ落ちそうになる心の不安をこの年で子供に経験させている
そう言う種を与えている自分が
本当に情けない存在に思えました。
沢山 笑顔を作ってあげたいのに・・・
ごめんね・・・ そう言う言葉が頭にぐるぐる渦巻くばかりの日々でした。
====== 続く =====
※これは、あくまで個人の記録です。病気の症状は、個人差が大きく、
同病の方であっても参考になるとは、限りません。
医療の専門家では、無いので、病気の正しい情報が欲しいときは、
医療のサイトなどで、検索して調べて下さい。
また同病の方、ストマなどのこと、私の経験で解る範囲のことは、
相談に乗りますので、メールして下さいね。
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