13,長期入院と絶食のつらさ2

前回のお話 目次 プロローグ  続きのお話

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が入院中知ったのは、長期入院の患者さんのほとんどが、3ヶ月でお家にかえるということです。

なおったら帰る というより もう3ヶ月治療して他に手がないから帰る

と言う感じにみえたのが、驚きできした。

それ以上どうしても言う人は、保養所や、転院するという形がほとんどです。

では、私のようにいっこうに良く成らず、でもどうにか生きていく様な人間はというと

自宅療養となります。

たとえば、年末は、やはり直ったのでは、なくても

帰る というのが定番で、ほとんどの「患者さん」は、いなくなります。

そして年が明けると、おめでとう といいながら、戻ってくるわけです。

 

元旦は、数名残った仲間どうし 日の出を真剣に拝むのでした。

あの祈りは、まさに説破つまった本物の祈りであったとおもいます。

 

そういえば、毎朝の日の出の時間は、長期入院患者にとってちょっとしたイベントでした。

「○○さん はやく もうすぐよ 」とよびあって 見やすい廊下の窓にあつまり

みんな やはり 拝みます。

そして 今日の色は、きのうより深かったとか 今日は、周りに曇りがかかってたね

と言った さほど毎日変わりない内容の会話を 楽しみながら 

また 各病室へ、戻って行くのです。

私も いかに今日の太陽がすばらしかったか力説しつつ満足して病室へ帰っていったものです。

 

絶食の私は、入院の3ヶ月間 ず〜〜と 水以外口にせず、

いろんな雑誌の料理本をながめては、これ、

元気になったら、たべよう と心に誓いました。

(そして夢は、かない 今の体型にいたる・・・)

 

点滴はしているもののどうしても味だけ感じてみたい・・

ある時 「そうだ 塩だけでもなめてみるか」 と思い立った自分がいました。

売店で、「でも よくないかな・・・」とおもいながら

 塩を数分みつめ 結局買わずにかえりました。かなり肝っ玉のちいさい女です。

 

昼時は、いろんな臭いが 私を誘惑してきます。

他の方も 「すいませんね・・」と私に気をつかって食べているので、

なるべく 私は、みんなの目のつかない様な位置で寝ころびます。

 

もともと食意地がはった私ですので、

それは、結構な拷問だったような気がします。

 

そしてもう一つ だんだんあることが強いストレスになってきました。

数ヶ月 寝ても寝ても朝起きれば、私をぐるっと囲む狭いカーテンの緑色

 

ある朝

カーテン越しに やはり長期入院の向かいの患者さんが言いました。

「あ〜〜〜〜今日も 緑だ〜〜」

 

まさに・・ 深く共感した私でした。まさに 今日も みどり です。

そのストレスは、もう どうにもならず、逃げられず・・・

 

たぶん これも経験してみないと分からないことですね。

 

朝起きるとみどり地獄・・・・

 

人間何がきっかけで追いつめられるのか・・・

後になって考えてみると 不思議です。

 

====== 続く =====

 

※これは、あくまで個人の記録です。病気の症状は、個人差が大きく、
同病の方であっても参考になるとは、限りません。
医療の専門家では、無いので、病気の正しい情報が欲しいときは、
医療のサイトなどで、検索して調べて下さい。
また同病の方、ストマなどのこと、私の経験で解る範囲のことは、
相談に乗りますので、メールして下さいね。

 

「腸極悪物語」目次

プロローグ

ma mama mamama ma ,mamamama

==========================================

大腸摘出手術 3期中 1期の記録「断腸の想い」は、こちら

==========================================


楽しいイラストストーリー
らくがき屋みっく リターンズ

Produse by MiccBlueMESSAGE