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とうとう手術本番の前夜
夜 私の部屋の外で50代ほどに見える男性が
「こえ〜よ〜 手術 怖いんだよ わかんないだろ 看護士さんにはぁ」
と泣きながら壁に寄り掛かっている・・
うそ・・・
大の大人が・・・ しかも男性がこんなふうになるの?
そう思いながら やっぱり大変だもんな・・と感じた
が
明日 大手術がまっている私は、というと
びっくりするくらいなんでもない・・・
なんでや?
たぶん現実わかってないんだ
もしくは、すこしわくわくしてる
か もしくは、とにかく今が地獄だから、早くそこから逃げたいのか
どちらにしろ 命がかかった手術に恐怖を感じない自分は、異常だな・・
きっと これは、手術後 騒ぐタイプなんだ・・と感じていた
そこで 看護士さんに「今は、おとなしいですが、術後は、
厄介な患者になると思いますので、宜しくお願いします。」と 言っておく
そして次の朝 着々と準備が進み 麻酔が効きやすくなる注射をうつ
ちょっと痛いよ言われていたけれど それもまったく感じない
手術室へ行く前タンカにのると 看護士さんが 心配事は、ありますか?と聞く
ひたすら心配だったのが 手術室へ行くまでに トイレに行きたくなり もし
失敗したらどうしよう ということだったので、それを伝えると
看護士さんの顔が明らかにひきつった
あ ここは、きっと あれだ 家族へ告げたい言葉とか もっと 命に切迫した感じの台詞を
ドラマで見る通りの台詞を求められたんだと気づく
案の定「それが 一番の不安?」と聞かれた
はい と答え こういう人めずらしいですか?と聞きたかったが、やめておく
正直 遺言のようなものなど 書いてはだめだ と思っていた
もしもの時のため子供たちに何か準備するべきか とも悩んだが、
それを後に見た家族は、きっと 私を
初めから 直ることを信じきれず、半分あきらめてのぞんでいたと
思ってしまうんでは、ないかと思った
全力で直ることだけ信じている母であったと思ってもらいたかった
おかあさん こんなことまで心配していたのね なんて 後で思わないでほしいのだ
ますます、家族がお涙ちょうだいになる題材は、残したくない・・
だめ母が、ただ必死で生きてたねって思ってほしいと思った。
そういうおかしな理想を私は、持っているんだな と その時知った。
そして
タンカは、進んで行く 病院の天井をずっと見続けライトがいくつも過ぎ
エスカレーターに乗り 降りる
角を曲がって白い天井が スーと開く自動扉の向こうで ステンレスの天井に一瞬かわる
そして手術室
少しひんやりしてる 周りがタイルだ・・
穏やかな音楽がなっている
ああ トイレにも行かず、どうにかここまでついたんだ
さあ なにか布がかけられルートが確保され、口に麻酔のカップが当てられ「わかりますか〜」と
言われるうちにどうやらもう私は、意識が飛んでいたんだと思う
さ、あとは、まな板の上のコイです。
先生長時間ではありますが、どうぞ よろしくお願いします。
私は、信じています。一点の曇りもなく とその時素直に思っていた。
====== 続く =====
※これは、あくまで個人の記録です。病気の症状は、個人差が大きく、
同病の方であっても参考になるとは、限りません。
医療の専門家では、無いので、病気の正しい情報が欲しいときは、
医療のサイトなどで、検索して調べて下さい。
また同病の方、ストマなどのこと、私の経験で解る範囲のことは、
相談に乗りますので、メールして下さいね。
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