4,第2子出産&(アホ)武勇伝

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そんなこんなで、

私は、便意と大腸の痛みと陣痛の区別のつかぬまま

とうとう第2子を出産しました。

汚い話で申し訳ないのですが、現実として、この大腸の痛いときのいきみでは、

出血と便と粘液がまじって出てきます。

つまり下血と言うと血だけというイメージがあると思うのですが、そう言うわけには、いかないのです。

 

子供には、申し訳ないし・・恥ずかしいしで

なんとも言えない思いの中、第2子と感激のご対面となったのです。

 

しかし

この出産後 驚く事実がありました。

第一子の時に感じたあの疲労感と体のすさまじい激痛があまりなかったのです。

産んでしまうと 時々やってくる腹痛と便意以外

ほぼ  ・・・・・・・・・・・・・???????

驚きでした

そういうわけで、出産直後私は、自分でベットをおり

何事もなかったように歩いて部屋に行ける勢いでした。

 

今思うと 初めてのお産の時の体の痛みは、今も悩まされ続けている 

合併症の脊椎性の関節炎だったようです。

 

良い時 悪い時 が極端にあって、2度目の出産後は、大腸の不調はあったものの

関節炎の方は、いくらかましだったのです。

 

まず、じかに座ることができました。

初産の後は、直に床にすわると立ち上がれなくなるので、椅子の生活になっていましたが

じかに座れるとおむつの交換、その他いろんな事がスムーズに行えます。

寝るときも痛みで横に慣れず、座る様な形で寝ていた第一子の時と違い、

第2子出産時は、普通に横になることができました。

 
横になれず座って寝ていた第一子出産時

 

 はじめから横になって寝ることができた第2子の出産時

ああ・・・・

産後ってあんなにしんどいものなんだ と思っていたのに・・

その時によって、、こんなに違うのか・・・と思ったものです。

 

しかし・・本来なんでもすぐ炎症しやすい体質なのか

今回もまた乳腺炎に悩まされ、熱も、出続けるのでありました。

しかも私は、乳汁過多体質といわれ、出るわ出るわの母乳の嵐

「残った母乳を しぼり出しきらないと いけない」 と言われてしまうと 

なんと1時間は、絞り出さなくては、ならない状況でした。

 

3時間おきにミルクをのむ子供に1時間くらい乳搾りをすると寝る時間は、

どんなにうまくいっても1時間づつ・・

 

しかも今度は、目の離せない 長女がいる・・・

それも かなりの強敵!

ん?  ・・・  いや・・ 

 もっと こんな感じだった気が・・・・・・・・・

 

しかし 今回は、体の方は、どうにか動くので

トイレと格闘しつつも子育てに夢中になりながら 

毎日子供と どう楽しく過ごしていこうと意欲満々だった気がします。

 

そして長女が幼稚園に入園した春 

気づくとまた下血量がふえ熱も38度が続くようになっていました。

でも子供が小さいこの頃は、すべてが、がむしゃらな時期でした。

やって出来ないことは無い!くらいの勢いで生きていた時代です。

 

◆ そんな頃の自慢しておきたい(アホ)武勇伝 ◆

(アホ)武勇伝 その1, 自転車の鍵をおとし しかたなく 徒歩10分以上の自転車屋

まで前と後ろに子供を乗せた状態で、自転車ごと脇に抱え持ち上げて歩いて行った。

 

(アホ)武勇伝 その2, 足の甲の骨を2本折っていながら子供をだっこして病院へ行き

帰りは 子供を「おんぶして」「松葉杖」をついて帰った。

 

(アホ)武勇伝 その3, 2階の階段から太って大きくなった体で一番下までど〜んとすべり落ち、

尾てい骨を折っていながら、後ろに一人おんぶ 前に一人だっこして、まず、駅まで20分かけ歩き

 お金をおろしてから 病院へ20分かけて歩いていき、

尾てい骨骨折と全身打撲と診断されながら、やはり帰りも後ろと前に子供を背負い

20分かけ歩いて帰ってきたこと

(生活苦がけっこうピークだった時代 タクシー使うだけの勇気が無かった・・・)

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無茶でした。アホでした。

しかし とうとう そんなことを『武勇伝』と思いこむアホな自分も観念せざる終えなくなりました。

もう 痛みが限界でした。

正直そのころは、大人用おむつをしての行動でした。恥ずかしながら何度も失敗しています。

そして その頃は、あまりの苦しさと痛みに、もうトイレでは、火汗と涙が出続けました。

(でも トイレ以外の場所では、元気に見えるんですね。。特にトイレに猛ダッシュする姿なんかは、
超人に近い元気ぶりに見えたに違いない・・。)

 

 そして 下の子が2才になる頃 すがる思いで 再度行った病院で まず、検査前に言われた言葉

「これは、特殊な病気かもしれません。難病で、潰瘍性大腸炎というのがありますが、非常に疑わしい」

というのです。

 

わたしは、驚くよりも 悲しむよりも なんだか救われた気がしました。

たしかに この状況は、普通ではない。

こんな状況での生活は・・・。

私は、今まで 「しかたないんだ」 と自分に言い聞かせてきたけれど

難病と言われれば、納得できる。と

 

そう思ったあの日、ちゃんと病名をつけてくれた先生に今も感謝しています。

 

※ 潰瘍性大腸炎でも出産される方は、沢山いらっしゃいます。
薬を変えるなど、方法があります。
難病だからと落ち込まず、是非、主治医と相談して見て下さい。

====== 続く =====

 

※これは、あくまで個人の記録です。病気の症状は、個人差が大きく、
同病の方であっても参考になるとは、限りません。
医療の専門家では、無いので、病気の正しい情報が欲しいときは、
医療のサイトなどで、検索して調べて下さい。
また同病の方、ストマなどのこと、私の経験で解る範囲のことは、
相談に乗りますので、メールして下さいね。

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大腸摘出手術 3期中 1期の記録「断腸の想い」は、こちら

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